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今、私たちが、ごはんを食べることは、文字通り日常茶飯事である。
しかし、古代からつい最近まで、民衆は腹一杯ごはんを食べることが出来ず、米食は日本人の憧れであった。江戸時代では、死に際の病人に竹の筒に米を入れ、それを振り動かして、その生命を引き留めようとするのも、米には霊力があると信じていたからである。

古来より、日本人は、普段通りの日常を「ケ」の日、祭礼や年中行事などを行う日を「ハレ」の日と呼び、日常と非日常を使い分けていました。

ハレ」の日には、晴れ着を着たり、神聖な食べ物である餅や赤飯を食べたり、お酒を飲んで祝ったりして、特別な日であることを示します。古来より、日本人 は、木にも火にも水にも神様が宿っていると感じ、これを「八百万の神」といって大切にしてきました。そして、身辺で起こるよいことも悪いことも、神様のお かげ、神様のせいと考え、人々は祭り(祀り)をつかさどるようになりました。祭りの華やかさ、行事の晴れやかさ、ケガレを落とした後の清々しさが「ハレ」 であり、「晴れ晴れ」「晴れ着」「晴れ姿」など「ハレ」の気持ちを表した言葉がたくさんあります。

「ケ」と気枯れ

「ケ」は普段通りの生活を送る日ですが、日常生活の「ケ」がなく、毎日がお祭りの「ハレ」だったら、それはつまらないものになってしまうかもしれません。 また、陰鬱な気持ちや何かよくない力、病気や死など、「ケ」の生活が順調にいかなくなることを、「気枯れ」=「ケガレ」といって忌み嫌い、禊ぎ、清め、祓 いなどをしました。「ケガレ」を落とし、単調になりがちな生活に「ケジメ」をつけて、「ハレ」の日を迎える。そうした物事の繰り返しで暮らしが成り立って いるのです。
■「ハレ」と「ケ」はワンセット

日々に「ハレ」と「ケ」があるように、一人の人の日々の中にも光の部分と影の部分があります。悪いことが起こると「明日はきっとよくなる」と自分を励まし たり、よいことが起こると「いいことばかりではない」と喜びすぎるのを戒めたりすることがあります。まさに「禍福はあざなえる縄のごとし」です。この感覚 は、日本人の暮らしのメリハリや心の影響と深いかかわりをもっています。

お米で元気。梶谷米穀店
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