我が家の先祖は、広島県倉橋島から大分の蒲江というところに移り住んだ、船大工集団の一員で、船釘を作っていた「鍛冶屋」だったそうな。 なんでも、その釘を使った船はいつも大漁だったらしくて、漁師の人たちから大変喜ばれていたそうです。 釘ではないが、繁昌を祈ったお米をお届けします。
私は、米屋の三代目 梶谷登かじや のぼる です。 当店は、小倉の下町にある、家族でやっている小さな米穀店です。 小さい頃から家族に、将来「米屋」になるんだと言われ続けていました。 最初の頃は米屋が嫌でした。 この仕事を手伝い始めた頃は、「米屋」と人に言うのが恥ずかしくてなりませんでした。 その割に、大きくしたい、有名になりたい。その一心でやってきたような気がします。 いつも遠くを見ていたのでしょう。
以前、名刺に「お米のかじや」としていましたが、ある人から、新潟コシヒカリやひとめぼれなど、 米には色々な産地・銘柄が、単にお米を扱っている「かじや」ではなく、「かじやのお米」になれ、「かじやのお米」とは、 「かじや」ではならのもの、「かじや」が選び抜いたお米と言うだ。 以来、その言葉を胸に刻みこんでやっています。 ただお米を売っているだけでは、楽しくありません。お米とお金の交換だけなら、スーパーでも自動販売機でも出来ます。 私である必要はありません。お米をお渡しするときは、当店を代表する唯一のお米であると思っています。
最近は、すごくこの商売に喜びを感じています。 天職だろうって。商売をやっていて一番うれしいことは、「あのお米おいしかったよ」と言われた時す。 「おいしかったよ」この言葉が、辛いことも忘れ、至福のひとときとなり、街の食堂や、一人一人のお客様に、なくてはならないお店になりたい。 「下町のお米屋」として、家族経営ならではの「お客様になくてはならない店」を目指して行きたいと思います。