もともと「稲」は日本固有の植物ではない。原産地は今でも論争が行われてるが、中央アジアと言う説が今のところ有力である。

日本に渡ってきた、「稲」を水田で作るのはかなりの労力がいる。水田開発の灌漑用水は
山や丘の斜面を水平面にして、そこに川の水を引く大変な土木工事である。それは個人や家族単位の規模では不可能であり、地域の人々全体の協力が必要であった。

そして、長期間の辛苦のすえに完成された水田は、地域への強い愛着と共同体のきずなを強めることになった。
また、完成しても雨が降らないときや台風などで河川が氾濫したときは、みんなで協力して支え合わなければならなかったのである。

自分勝手な行動は許されず、一体化を求められて、仲間はずれをされるといことは米作りが出来ないことをも意味していた。それ故、村八分など仲間から外れることを非常に恐れたのである。これが日本人の意識や言動、行動に絶えず働きかける「和」のチカラであ。

お米で元気。梶谷米穀店
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